KDDIミニミニ同期会
Posted in カフェ・レストラン, 同窓会・同期会 on 1月 20th, 2018 by chibirashka – Be the first to comment10日の夜、KDDI1997年入社同期でミニミニ同期会を開催。
もともとは、ミニミニにしようと思っていたわけではなく結果的にミニミニになってしまったんだけど、超楽しかったな。場所は八芳園!
10日の夜、KDDI1997年入社同期でミニミニ同期会を開催。
もともとは、ミニミニにしようと思っていたわけではなく結果的にミニミニになってしまったんだけど、超楽しかったな。場所は八芳園!
ヨーロッパ旅行の直前だか直後だかにiPhone5の予約受付が開始されたため、かなり出遅れてしまったんだけど、今日iPhone5がやっと手元に来た。
今回の新機種を機に、ソフトバンクからauに乗り換えた。
何ということもないんだけど、デジタルガジェット系で「これは!」ってものがあるとなんとなくブログに記録残してるので一応…。
すっかりブログを放置していたけど、先週の金曜日、KDDIのプチ同期会があった。
今回集まったのは10人ちょっと。オフィシャルな同期会ってわけじゃなく、こじんまりと声をかけたメンバーONLYだったから。
結婚、産休、育休を経て、長く働いていた同期のうちの1人の女の子(彼女は新宿組でもある)が、旦那さまの転勤を機に辞めることになったので、その送別会的な同期会。
97年入社の私たちは確か90名を超える同期がいるんだけど、元々、技術系と業務系と大きく分かれるし、入社早々配属先もバラバラ。2-3年目あたりになるとトレイニーやら赴任やらで世界中に散らばったりもするので、同期とはいえ一緒に過ごしたのは実は新入社員研修の1-2週間だけだったりする。実際、在籍時はほとんど喋ったこともない、って人も多いし、集まったメンバーの中には私のようにすでに転職した人も多い。
入社からすでに10年以上が経過しているので、皆それぞれに、いろんな人生を重ねてきていて事情も色々なんだけど、やっぱり「同期」っていうだけで特別な何かがあるなーと思う。何でも話せちゃう。
同時に、いわゆる事業会社の会社員なワールドと、今、私が身を置いているいわゆるWeb業界との温度差なんかを感じる。どっちがいいとか悪いとかじゃなくて興味深い…。
集まった人数も少ないので、これが会社員の代表モデルとは言えないだろうけど、それにしても同じ年齢で比べるとすると、圧倒的に会社員側の方が、社会基盤とか人生設計的な何か、モノへの観点とか、立ち居振る舞いとか、そういうものがしっかりしてるなーと思った。で、たまたま昨日、カスヤーさんと会ったんだけど、その時にもなんとなくそれに通じる話が出て、色々考えさせられた。
KDD在籍当時、私はかなり尖っていたようで、いや、尖っていたっていうと言葉が良すぎるか、なんというか刺々していたようで、男の子の一部から「当時口きいてくれなかったよね」「バリアがあったよね」的なことを言われ、この同期会の後半は穴があったら入りたい心境だったorz 今はすっかり丸くなりましたからぁ!!
長く付き合っていきたいメンバーとの夜。
気づけば全然更新していなかった。。
他のブログを毎日大量に投稿しているので(謎)、そちらでお腹いっぱいだったからかしら。
さて、久しぶりにK社時代の同期の女の子達とランチした。
同期の女子はもっといるけど、その中でも新宿のKビル勤務で管理系の部門(広報、総務、経理)にいたこのメンバーは昔から特に仲良し。一人だけ大手町ビルの営業系の部門にいた子も今はジョイントしてる。まぁ、今はもう新宿だの大手町だのではなく、飯田橋にガッチャンコしてるみたいだけど。
入社から13年目(?)に突入している私たちの代は、私のような転職組も多いけど、6名集まった女子の中で、まだ2人は在籍しているし、産休/育児休暇を経て復帰した子もいる。
色々ライフステージが変わる中でも、心地よく働ける会社というのはそんなに多くないんじゃないかと思うんだけど(特にこんなご時世で)、在籍してる子たちの話を聞くと、大企業だからこその安定した、条件の良い労働環境というのを改めて感じるし、新入社員の若い頃には気づかなかった会社の懐の深さが感じられた。
とはいえ、やはり部署によって性格や事情はかなり異なるようではある。大きな合併を2回繰り返し、最初の1回目の合併では比較的同じトーンの会社がくっついた印象があるけど、2回目の合併では誰の目かららみてもぱっきりと文化が異なる会社がくっついたので、それは合併から10年近くを経た今でも完全には融合してなさそう。同じ制度が導入されていても、その解釈と運用は部署ごとに違っていたりとか。異動による社員シャッフルを繰り返してもね。国際インフラ整備や、各国間のタリフの交渉・計算、基礎研究に係る部門はやはりK寄りっぽいし、ケータイ事業やコンテンツ提供に係る部門はやはりD寄りっぽい。
私の場合、学生時代の就職活動で、K社もD社も受けていて、D社が最終選考まで進む中で、先に第一希望のK社から内定をもらったので、結果的にK社に進んだけど、まぁ数年後に合併したので、あの時もしD社に行っていても、結果的には同じ会社で勤めることになった、というオチがある。
なんだけど、やっぱり私は、私自身が体育会系じゃないから、文化的にK社だっただろうなー。草食系で、どちらかといえばアカデミック。博士や修士がわんさといて、海外経験がある人が多く、昔から女性が大勢活躍している職場というか。
と考えると、規模は全然違うものの、コンセントってかなりKとかぶるような気がする!あー、だから、私はコンセントが居心地いいのか。。。色々な会社を経験したけど、何か同じ匂いを嗅ぎ付けて、めぐりめぐって、本能的にそこに落ち着くんだ〜、という発見。偶然なのか必然なのか分からないけど。
ところで、ランチに選んだお店は新宿小田急のCAFE TROISGROS。落ち着いた雰囲気のお店で、予想外に眺めも良かったのでおすすめ。
地中海あたりの海底ケーブルが切断されたようですね。昨年初頭に切断され復旧したばかりだったのに。2本も。さらにもう1本も機能していないらしい。
3本のケーブルは『SEA-ME-WE 4』(SMW4)と『SEA-ME-WE 3』(SMW3)、『FLAG Europe-Asia』で、いずれもエジプト、イタリアの海底で切断されたとのこと。
地中海でまたも海底ケーブル切断――中東・アジア14ヵ国に影響
って、なんでこんなマニアックなニュースに反応するかというと、元国際通信専業の通信会社で広報室にいたから〜。通信事業者にとってケーブルの切断はかなり大きい事故なので。
インフラ系の会社はどこもそうだと思うけど、ネットワークに関して24時間監視が行われていて(まさに、爆笑問題が出てるdocomoのCMで出てるようなあんな部屋)、何十インチものでかいパネルが十数枚並び、各地域のケーブルの状態、inbound/outgoingの状態、CNNのニュースがモニターされてるのね。
CNNがモニターされているのは、内戦、紛争、戦争、災害などのbreaking newsなんかをみて、いち早く、対策を取るため。何かが起きた時には、このネットワーク監視のスタッフたちが、諸外国のキャリアと連携して対応にあたるんだけど、英語とかでやり取りしてるのが、新入社員だった私にはなんかかっこ良く見えたのよね。
もちろん、こうした事故に備えて海底ケーブルはループ構造になっていて、いざという時には迂回ルートを設定することで、トラフィックダウンを回避できるようにはなっているんだけど、おそらく、音声通信だけの頃と違って、大量のデータが転送されていると思われる現在では、バックアップケーブルがあるとしても、切断による影響は大きそう。
ちなみに、この地中海海域でのことはよく分からないけど、日米間の海底ケーブル敷設方法は、日本側からはKDD(現在のKDDI)の船(私が在籍してたころは、KDD丸とかKDDオーシャンリンクとか)が、またアメリカ側からAT&Tの船が、それぞれの陸側から海底ケーブルを敷設し、太平洋上のいずれかの船の上で、最後の結合処理が行われていました。
ケーブルの切断などがあると、太平洋を横断する長い、長いケーブルの、一体どこが切断されたのか箇所の特定が必要になるわけですが、そんな時には、アクアエクスプローラー(まだあるのね!)という、オレンジ色の自走式海底ロボットが、敷設ケーブルに沿って自走し、信号によって箇所を特定した上で、船でかけつけて修復していたはず。
小ネタとしては、このオレンジ色のシャトルっぽい形をしたロボットちゃんが、中国だかの漁船の網に引っかかったうえ、怪しいということで拿捕されてしまって、誰かが迎えに行かなくちゃいけないということがあったな。。あの時ってリリース打ったっけなぁ〜。忘れた。
海底ケーブル損傷の原因としては、トロール漁法による底引き網なんかが筆頭なんだけど、サメにかまれて、ということもなきにしもあらずのようで、当時の広報室の広報資料キャビネットには、「シャークバイト実験」なる写真も保存されていました。カーッとキバむき出しのサメが、海底ケーブルをかじってるようなそんなヘンテコな写真です。まぁ、もちろん、そんなちょっとやそっとじゃ、光ファイバーがむき出しになってしまわないよう、保護材が頑丈にまかれているんだけどさ。
国際通信を扱うということで、海外赴任やトレイニーとしての海外転勤も日常茶飯事で、インターナショナルでグローバルなことをやっている洗練された大企業というイメージの会社だったけど、海底線部(今はもうないかも)や、ケーブルシップ(だっけ?)というような子会社が、こうした海底ケーブルの敷設や、船の管理を行っていたということもあって、会社には船乗りとかがいた、ということも、今考えると面白い会社だったなーと。
もちろん、船自体の操縦であるとか船員というのは、外国籍のそれこそTHE船乗り、みたいな人が多かったと記憶しているので、会社に船乗りがいたといっても、船乗りとして入社ということじゃなく、エンジニアが作業するために結果的に船に乗る、という感じなんだけど、敷設作業に出ると何ヶ月も船上にいることになるので(まぁ、パイレーツオブカリビアンのように、各港に寄ってはホニャララとか言う噂もあり)、社内の合コンとかでは、こういう系の人と付き合うと、幸せになれない、的なゴシップもあったような・・・。
そんなことを思い出した、海底ケーブルの記事・・・。