ドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale)
随分間があいてしまったけど、久々に旅行の記事。
9月後半にヴェネツィア行った時にいったドゥカーレ宮殿について。
滞在したホテルダニエリからもめちゃ近く、大運河に面して建つ、ヴェネツィア共和国の栄華を見せつけんばかりの建物。ヴェネツィア観光の中心的なところでもある。
基本的に写真撮影がNGだったので、メモったことをそのまま書いとく。
《中庭にて》

地盤沈下のひどい地域柄、軽い素材しか使うことができず、レンガや木が建築資材として使われている。パッと見大理石でも外から見えない建物の裏手は別の素材が使われていたりするそうだ。
建物のあちこちでクローバー模様の窓を見ることができる。ホテルダニエリにもある。これは1300~1400年代のゴシック様式のもの。
《黄金の階段 = Scala d’Oro》

1500年代に2回の大火があり建物は無事だったが内装はダメになってしまった。そのため外装はゴシックのまま、内装はルネッサンス様式で作られた。
《4Fの4つの扉の間 = Sala delle Quattro Porte》
宮殿で一番大きい待合室。ティツィアーノの「祈りを捧げるグリマーニ総督」はとても重要。政治より宗教の方が上であると示唆している。
床はわざと揺れるようにできているらしい。
天井はフレスコ画で色つきのしっくいで描かれている。壁は油絵がかかっている。
《謁見の間》
天井もヴェロネーゼとその弟子による油絵で描かれていてとても立派。16世紀から変わっていないそう。またティントレットの絵や大時計もある。この時計は24時間時計で左回り。1本針。もう動いていないとのこと。
《元老院の間》
天井中欧にティントレットの絵。全部16世紀のオリジナル。大時計が2つある。右側はメカニカルウォッチ。謁見の間の時計と同じ機械が使われている。扉の左にあるのは星座時計。1か月に1回動かすだけなので、現在も手動で運用されている。
《政治犯用の裁判所 = 十人委員会の間?》
天井にもともとはまっていた絵は戦利品としてナポレオンに持っていかれてしまったため、現在本物はルーブルにあるそうだ。現在天井にはまっているのは18世紀になってからはめられたコピー。
《羅針盤の間》
この部屋の隠し扉からあちこちの部屋に行くことができたのでこう名付けられたらしい。市民から密告を受ける穴「ライオンの口」がある。この手の穴は「真実の口」とイタリア語で呼ばれている。
《武器庫》
馬用の鎧や剣など。ダ・ヴィンチ設計のヨーロッパ最古の20連発機関銃がみられる。16世紀のもの。
《大評議の間》
柱の全くない超広い広間。13m×26m×52mと倍数になっているそう。
1500人が集まって会議するための広間。ヴェネツィアでは造船技術が盛んであったため、船底を逆にしたようなかたちの吊り天井になっている。これも16世紀のまま。世界最大の油絵、ティントレットの「天国」が壁一面にある。ここには2000もの天使が描かれているらしい。
《牢獄、溜息の橋》
1600年代~1920年代のムッソリーニ時代まで使われていた。ドゥカーレ宮殿と通じる通路がありそこに石の飾り窓になった橋がある。これが「溜息の橋」。ホテルダニエリからサンマルコ広場へと向かう時、スキアヴォーニ河岸を歩いていると細い運河にかかる橋の上で観光客がやたらとたまってシャッターを切ってるエリアがあるんだけど、それがこの「溜息の橋」。

大運河側から見た溜息の橋
スキアヴォーニ側から見るのと、実際に建物の中からこの「溜息の橋」を渡るのとでは全然印象が違っている。

溜息の橋の中から
牢獄への通路は入口用と出口用で分かれている。収監される時も溜息が出るのだろうが、牢獄から出る時に通る時も、出る=釈放とは限らず、そのままサンマルコ広場に連れていかれて処刑ということもあったので、どちらにしても溜息がでる状況だったのだろう。
最後は、この立派な階段。
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