日本の集合意識と個人レベルの5チャクラ問題のフラクタル
Posted in Well-being, ノウイング/直観 on 7月 8th, 2025 by chibirashka – Be the first to comment最近、言霊、ヲシテ文字、カタカムナ、祈りといった日本古来のコミュニケーションについて考える機会が多いんだけど、デヴィッド・R・ホーキンス博士の著書『パワーか、フォースか』に出てくるコンシャスネスマップ(意識のレベルの数値化)ってチャクラとの対応付けができるのでは…などと考えていたところから、昨日ふと、この日本の言語周りの話との関連が想起され、思ったことがある。
明治維新前後、あるいは戦後のGHQ政策などで、日本人の精神性を弱体化させるために、特定の漢字、単語、言霊に関する叡智、神話教育などが奪われてきたという話があって、それって日本の集合意識的な5チャクラに影響する話だなーと。
日本は縄文時代から、調和と愛に根ざした文化があり、相手の気持ちを慮り、気が利く特性を持っている。それは「以心伝心」「空気を読む」「間を感じ取る」といった、非言語的で波動的な“声の文化”を持っていた、ある種テレパシックでもあり、またハイコンテキストな文化。
つまり調和や愛、利他的な4チャクラ的なことが得意であると同時に、深く物事を読み取る洞察力的な6チャクラ、そして無宗教であれ、全てのものに魂が宿るといった感覚や、お天道様が見ているといった道徳観、「神」「高次存在」をどこか無意識にも理解している7チャクラ的な強みがある民族とでも言おうか。
一方でハイコンテキストだからこそ、わざわざ言語化する必要がなく、欧米的な価値観でみた場合の5チャクラを意図的に使わずとも、円滑なコミュニケーションができていたような。つまり4チャクラからダイレクトに6チャクラ、7チャクラにパススルー。
母音語族である日本人(日本語話者)と、子音語族である欧米語話者の脳の言語処理や感性は全く違っていて、そもそも優劣のつけようも、同じ土俵にのることもないはずなのに、なんとなく欧米の方が優れていると思い込まされ、その上、日本人は相手を慮ってしまうものだから、言いたいことも言えないというか、言いくるめられるままになって、ある意味5チャクラを封印。
しかしここにきて、言霊、音霊、周波数、神代文字、祈りなんかの存在や重要性が再び注目されるようにもなっている。
ちょっと話は変わるけど、子どもの頃は、直感的に判断したり、自分の「好き」「これがやりたい」を素直に表現できていたはずなのに、大人になるにつれて、ロジカルさとか、情熱よりも予算や効率を重視するといった考え方を取り込むようになっていく。
「そのように振る舞うと、仕事ができる人に見えるようだ、あるいは大人はそういうもののようだ、大人の年齢になったからそう振る舞わないといけないらしい」と思わされていく日々。それをいいなんて全然思ってもいないのに、そう演じることもそのうち上手になっていく。
本心ではないのに、周りの目を気にしてそれを言うことができないし、そう振る舞うこともできない。つまり5チャクラにブロックを作っている状態。
でも最近は、違和感に気づいて、外から刷り込まれた価値観で生きるのムリー!ってなって、本心に従って生きる人も増えている。
この個人レベルのこの5チャクラの課題への対応と、日本の集合意識がもつ5チャクラ問題とが重なって見える。この個人レベルの気づきと、国全体の意識レベルの変容がフラクタルに共鳴しあってるんじゃないかっていう。
だいぶ端折って書いたけど、枝葉や周辺領域の関連トピックは色々あって、ここに書ききれないから、いつかやる気が出たら、ちゃんとした記事にしようかな…と思いつつ、最近、お客様とのセッションでも、その他でも、このテーマに関連する話がシンクロすることが多いので、一応ここにサインとして置いておこうかと。
ついでに言うと、5チャクラ系の音のアルケミークリスタルボウルが、なんで館に5個もあるのか謎で、私個人の問題とは別に、5チャクラ絶対なんかあるわー!って思ってたんだけど、これか!と思ったというのもある。