春日大社

3/15にインスタにアップした記事をこちらにもアップしておく。

https://www.instagram.com/p/DHORERwzPxZ/

今回の奈良、なぜか節分の頃に「あ、3月13日頃に春日大社行かなくちゃ!」と突然思い立ったことに由来する。
今まで春日大社に興味持ったことなかったけど、その時期、なぜか武甕雷(タケミカヅチ)のサインもやたら来ていて、春日大社を調べたら御祭神に武甕雷が含まれていたので、じゃあ、やっぱり行くのか…みたいな具合で。

とはいえ、私、現地に行くまで、ガイドブック的な内容がさっぱり頭に入ってこないタイプ。国内外問わず。奈良に行くと言ったら、いろんな人が色々教えてくれたけど、そういうわけで、頭のなかはまっさら。

なので、それ以外よく知らずとりあえず春日大社に行った。
特別参拝することにして釣灯篭の回廊などを歩いて行くと、御蓋山浮雲遥拝所というところがまた、謎の涙じんわりポイントだった。

なぜかは相変わらずわからないけど。

そもそも春日大社が作られたとき、鹿島神宮から武甕槌を勧請し、藤原氏一族の氏神として祀ったらしい。

で、この御蓋山というのは、茨城の鹿島神宮から武甕槌命が白鹿にのって降臨された山とされ、春日大社の神域の森の中の禁足地にあるため直接お詣りすることができない。ゆえにこの遥拝所からご挨拶させていただくということらしい。

というストーリーが、本当なのかどうか知る術もないけど、とにかくここに立つと、周りの空気とは全然違っていて、山の方からスッとした気が流れてくるような感じと、それとは別に、とにかくジワーンとしてしまう何かがあった。

それがなんなのかを特定するほどのセンサーとリーディング力がないのが残念。

多分この奈良旅のテーマとは別スレになるんだけど、これまた1月末ぐらいに、別方向からもらったサインを深掘りすると、表向き指摘されたことのメタフィジカルな暗喩として、藤原氏方面のカルマの浄化的ミッションも多分あって、春日大社といえば藤原氏か…という感じもするから、やっぱりなんかあるのかもね…。

インスタには書かなかったのだけど、この春日大社の参道というのかな、最初の鳥居をくぐってから実際の本殿に到達するまでの、鹿たちがたくさんいる長い通りを歩きながら、やたらと海外の旅行たち、特に中国の人たちの声、言葉、音が気になっていた。

私はそもそも、東京の表参道という海外からも旅行者がめちゃくちゃ訪れるような観光地ど真ん中に住んでいるから、彼がいたところで普段はさして気にならないというか、普段そんなことを思ったこともないのだけど、この春日大社のこの通りを歩いている時は、なんというか「あー、だめ!その言葉は日本の調和を乱すわ!!その音をやめてちょうだい!日本語しか使わないでほしい!」と強く感じていた。

なぜだかはわからないし、中国の人とか、海外旅行客は迷惑だ、とかそういう感覚でもなくて、ただただ、音で世が乱れてしまう。この神域だけはそれがあってはならない、みたいな謎の使命感すら感じるような感覚を覚えた。

あれは一体なんだったのだろう。

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