Vienna to Prague(ウィーンからプラハへ)
2013年9月13日にプラハに行った。
ウィーンからの日帰りショートトリップで。
って1年前のことだけれど、当時、秘密ノート(謎)に残したメモをもとに記事にしておく。
メモが断片的すぎてよくわからんところもあるから、それもそのまま。
最高気温は16度、最低気温は11度。日本の9月では考えられないほど寒い。
日帰りで行けるとは言え、けっこう遠い。
英語ツアーみたいなやつでいったので団体でバスでの往復だし、道中は寝ていても、ぼーっとしていても乗り過ごすとかなく到着・帰着できるので、そういう意味ではラクだけど、腰はしんどい。ちなみにプラハとウィーンは片道5時間ほどもかかる。
5:30AM起床で、6:45AMホテル前集合というハードなスタート。
ホテル集合とは言っても、小さなバンが迎えにきてくれて、全体集合場所であるオペラ座に移動。
バスでウィーン市内を走ってる間、虹が見えた。
オーストリア国境を超えてチェコに入るとすぐに、移動遊園地の残りみたいなものがさみしげにおいてあった。その後、アウトレットっぽい施設も見えた。今思えば、あれは帰りに立ち寄ることになるExcalibur cityだったんだろうか。
チェコに入ってしばらくしてからの風景は、果樹園があったり広大な農地があったり、今にも崩壊しそうな建物があったりして、まるで、クロアチアからボスニア・ヘルツェゴビナに入ったあたりの景色に似ているようにも感じた。
このあたりを通過したのが9:15分頃。
その後、MELIKANAというモーターレストで10:30〜11:00までトイレ休憩。
トイレの利用は20セントユーロだった。
カウンターで夫はビールを、私はカプチーノを飲んだけど全部で3ユーロぐらい。
併設の売店でなんとなくポテチ、クッキー、ジュースなどを買ったけど全部で4.5ユーロ。安い。
なぜか建物の外にはヤギもいる。都内で数年前に流行ったヤギカフェ的なものか?
12:30頃Colinthiaホテルで現地ガイドを拾いプラハに到着。
バスのなかでは、「チェコの人口は約1,000万人。そのうちプラハの人口は200万人」と言ってた気がする。
その後、モルダウにかかるカレル橋を通過。1402年完成の築600年とガイドさんが言ってた、とメモが残してある。
インターコンチと法学部のあたりは昔ゲットーだったとのこと。
プラハ城に到着。バスを降りて城まで歩く。
プラハ城入り口の衛兵をみながら。彼らは現在はプロの兵隊だが、1989年共産主義が終わるまでは18歳で兵役義務があり、当時は一般市民兵が衛兵をやっていたとのこと。
11月17日、ビロード革命。
血も流れずビロードのようにスムーズだったことからこう呼ばれた。
共産時代にはロシア語を習うのが義務であった。ただし、使うことを想定してたわけではないので、年をとった人でもロシア語に堪能なわけではないとのこと。
プラハ城は歴代王の居城。9世紀半ばに建築が始まり14世紀頃にほぼ整えられ、およそ600年かかって作られたとのこと。
一番新しい部分はネオゴシック。第二中庭はネオクラシック。
聖ヴィート大聖堂。『地球の歩き方』だとSt. Vitus’s Cathedralって書いてあるけどガイドさんはBasilicaと言っていた気がする。城の半分はロマネスク様式、半分はゴシック。建物の外観が黒いところは中世のもので、酸性雨によって黒くなったと言われている。
城はフラッチャヌィの丘の頂にある。
お城の正門。
正門をくぐって第一の中庭へ。
そして多分これは第二の中庭。
そして聖ヴィート大聖堂(katedrala sv. Vita)へ。
スケール感がわかりづらいので人間も入れてみる。
930年に作られた時はロマネスク様式のシンプルな円筒形だった建物が、改築を経てゴシック様式に大改装。
尖塔の高さ96.6m、内部の幅60m、奥行き124m。プラハにあるゴシック建築の代表格。
ゴシック建築らしいバラ窓のステンドグラスも美しい。
さて、城のふもとには、マラー、ストラナという城下町が広がる。城とふもとには80mの高低差。
城前の石畳の広場はフラッチャヌィ広場。
中央の黒い塔はペスト塔。まわりには、今は外務省として使われているトスカ宮殿や大司教が住んでいる白い建物などが並ぶ。
さて、プラハ城を後にしてカレル橋方面へ。
城の脇の石畳の階段を降りていく。
モザイクはオリジナル(当時のまま)。石畳は石がとても細かくモザイクのように柄が入り、美しいだけでなく比較的歩きやすい。
下町っぽい通りになり、とても古い居酒屋がある。
そこの半地下から鉄格子をつかむおじさん人形の姿が若干不気味。
バスから見たカレル橋を渡る。
橋から、今きたプラハ城の方向をみるとこんな感じ。
夜に見たらもっときれいなのでしょうね。
「フランシスコ・ザビエル像ですよ」と案内された像は、あんまりザビエルっぽくなかった。まぁ、ザビエルにあったことがあるわけではないのでわからんけど、教科書とかのイメージとは違う。
聖ヤン・ネポムツキーの像は、触ると幸せになるとのことで、一部がピカピカになっていた。
カレル橋には30体ほどの彫像が並んでいるようだ。
カレル橋から水車が見えた時に「チェコのveniceです」とガイドさんが言っていた。この水車は17世紀からのオリジナルだそう。
橋のたもとのタワーは昔は刑務所だったそう。
ちなみに、カレル橋や商店街では何度も何度も「スリに気をつけてください」との注意があった。スリにはあわなかったけど、とにかく橋の上は混んでいて人との密着度が高めなので、気をつけておくに越したことはなさそう。
橋をわたり商店を抜けて歩いていくと、
旧市庁舎前の広場、旧市街広場(Staromestske nam)に出る。
そして、旧市庁舎。
旧市庁舎にある天文時計(Orloj)はからくり時計になっていて、毎正時に仕掛けが動きだす。たまたま14時頃にその広場についたので、からくり人形を見ることができた。
骸骨が動いているのがシュール。
15世紀に作られオリジナルのまま今でも動いている天文時計とはすごい!
からくり人形を見た後は15:20まで一旦解散。
ガイドさんおすすめの、近くにあるU SUPAというチェコ料理が食べられるレストランに行ってみた。ちなみにU SUPAの「U」は英語の前置詞「at」と同じらしい。
とても愛想のいいおじさんがウェイターをしていて「超時間ないから、超急ぎでお願い」っていうリクエストにもフレンドリーに応えてくれて、実際注文してから食べ終わるまでに30分で済んでしまうというスピーディさ!メモによるとこの店員のおじさんは「若干、ブルース・ウィルスに似ている」と書いてあるw
そこでは
Braised beef in cream sauce w/ cranberry sauce & dumpling
Roasted half duck w/ red cabbage and pancake
というのを食べた。
パンケーキはクネドリーキ。
お値段はというと、この写真の料理とビール2つ(おかわりしたかも?)と全部で30ユーロぐらいだったっぽい。
お店の詳細はこちら。
ランチを済ませた後は、これまたガイドさんおすすめのMANUFAKTURAという雑貨屋さんへ。
キャンドルやソープ、ボディクリームなどのほかチェコらしく木のお人形などおもちゃも少し置いてあった。
そして、集合場所近くにあったボヘミアングラスやジュエリーを扱うお店で、ゴールドとガーネットのハート型ピアスを買ってもらった。覚えてないけど、このBOHEMIA CRYSTALってお店だったかなー。
ピアスは珍しいネジ式。多分10万円かそれぐらい。安いのは激安であるし、数万円というものはよくよく話をきくとシルバーに金メッキだったりして、あまりそれは気分ではなかったので、ちゃんとしたゴールドにしとこうと思い。
しかし、そのネジ式のピアスのステムがかなり太くて、ピアス穴にスルッとは入らず、使用頻度は低め。かなり気合を入れて、ピアス穴がちょっと切れちゃうけど…ぐらいの気合を入れ、穴を通す時にもエタノール消毒、取った後もエタノール消毒、ぐらいの覚悟を決めれば、まぁ、入る。
ま、ランチして、お土産も買って…と盛りだくさんだけど、集合時間にはぴったり間に合った。ふぅ。
この近くのスーパーに一瞬立ち寄った時に見かけたチェコビールコーナー。
旧市街広場を出て、ヴァーツラフ広場を通って、国立博物館をチラッと眺めながら(ちなみにこの時は工事中)、その近くに駐車しているバスに乗り込みウィーンへの帰路へ。
バスでは行きも帰りもスメタナのモルダウがガンガンにかかっていたw
まぁ、そういう気分よね。
ハイウェイはとても道が悪くてガタガタ。
19:05〜19:45まではトイレ休憩でExcalibur Cityというショッピングセンターでトイレ休憩。
トイレのハンドドライヤーはダイソン。ま、どうでもいいね。
気温は13度ぐらいでけっこう寒い。トイレは無料。
free shopと書いてあってタバコや香水なんかが売っていた。duty freeってことかね。
子供の国的な遊園地のような施設もあった。屋根の上には煙を吐く怪獣とか。謎多し。
21:00にウィーンのオペラに到着。うーん、遠い!
この1日は雨がパラパラ降ったりやんだり。傘はなくても大丈夫なぐらいだったけど、スリも多いし、アウトドア的な服装で正解だった。混んでる道でアイスクリームとか食べてる人もいて、汚されるかもしれないし。
夜景を見たいし、もっとゆっくり見たいからやはりもう一度、プラハ泊の旅も考えたいな。
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