ボスニア・ヘルツェゴビナ1日ツアー(A short trip to Bosnia-Herzegovina)

2012年9月20日、ドゥブロヴニクから隣国のボスニア・ヘルツェゴビナへ。

アメリカに留学していた時に、私がいた大学にはボスニア・ヘルツェゴビナからの留学生がいた。学部も違ったし接点がほとんどなかったからあまり喋ったことがないんだけど、何の時だったか体に見たことないようなけっこうエグい傷があるのに気づいて聞いてみたら、子供のころ戦争で撃たれた時の傷なんだと言っていた。年がそんなに違わない男の子の体にそんな戦争の時の爪あとが残っているなんてすごく衝撃で、友達というほど親しくなかったけど、それ以来なんとなくボスニア・ヘルツェゴビナという国の名前を聞くと彼を思い出す。戦争のイメージが強いけど本当はどんなところなんだろうと思ったのが今回ボスニア・ヘルツェゴビナに足を伸ばしてみようと思ったきっかけ。

プライベートガイドと行った先日のモンテネグロ1日ツアーとは違って、今回は団体ツアー。ホテルの近くまでバンでピックアップには来てくれるけど、その後は大型のバスに乗り換えて。ユネスコ世界遺産になっているモスタルの旧市街とスターリ・モストがメインだったけど、それ以外も少しだけ見ることができた。

出発が早い。Villa Dubrovnikまでは迎えに来てくれず、隣のアルジェンティーナホテルに7:20集合。隣といっても歩くと10分ぐらいある。

ホテルVilla Dubrovnikについて書いた記事

しかもこの日はひどいサンダーストーム。5時台に起きる前からバケツをひっくり返したような雨の音が聞こえ、7時前にホテルを出る時にもいっこうに変わらず、ひどい雷と豪雨のなかホテルを出発した。隣のホテルまでは車が1台通れるかどうかぐらいの細い道を歩いていくんだけど、斜面側の壁からは雨水が道路側に吹き出しているし、吹き出した大量の水と空からの土砂降りのせいで、細い道はほとんど川になっていた。普通のスニーカーだった夫はもちろん、少々の雨では全然平気なぐらいの足首までのトレッキングシューズを履いていた私も為す術がないほどで、二人ともアルジェンティーナホテルに到着する頃には、靴の中が歩く度にピッチャンピッチャン音を立てていた。

吹きつける雨で服もびしょびしょだし。ゴアテックスのマウンテンジャケットを持ってこなかったことが悔やまれた。

歩くのがせいいっぱいで、あのすごさを伝えられる写真が残ってないのが残念。

さらにこの日の気温は、ドゥブロヴニクが最高気温19度、最低気温12度。モスタルが最高気温21度、7度。朝の時点では15度前後で、びしょびしょになった服と靴ではシンシンと冷える。

ホテルアルジェンティーナでは私たちと他2組ほどの欧米人参加者をピックアップし、別のホテルにもう一軒寄ったあと、バンはグルージュ港にあるドゥブロヴニクの長距離バスターミナルへと向かった。

途中で車の中から写真撮った時には雨もだいぶあがっていた。

バスターミナルについてからなぜか30分以上待たされ、時々雨がちらつく寒空の下、みんなで震えながら待っていた。

バスターミナルからはこんな景色が見えた。多分グルージュ港。

大きなバスに乗り換えてボスニア・ヘルツェゴビナへ。

この日のツアーガイドはVedran、そしてバスのドライバーはAntonio。ツアーガイドの名前が、冒頭で触れた留学時代の男の子と同じで、ボスニアでは一般的な名前なのだなと思った。

満席のバスの最後部に乗り込む。


ボスニア・ヘルツェゴビナの国境

この日の行程はポチテリを経由してモスタルに入り、スターリ・モストなど旧市街を中心に見学というコース。

⇒ ポチテリ(ボスニア・ヘルツェゴビナにあるオスマントルコ様式の建築がみられるオールドタウン)について書いた記事
モスタル旧市街とスターリ・モストについて書いた記事

ドゥブロヴニクからしばらく海岸沿いを走っていくんだけど、ボスニア・ヘルツェゴビナ領土の一部が海岸に接しているところと、内陸に戻るところがあるために、ボスニア・ヘルツェゴビナに一旦入ったあと、しばらく走るとまたクロアチア領土に入り、またしばらくするとボスニア・ヘルツェゴビナ領土へと入るような地理。だから3つの国境というかパスポートコントロール(ボスニア⇒クロアチア⇒ボスニア)を超える必要がある。
※ボスニアに行くためだけでなく、スプリットなどクロアチアのなかでもドゥブロヴニクより北部の方へ行く時にはこの国境を超える必要が出てくる。

このボーダーを超えるため、バス車内ではGreenbookと呼ばれるノートがペンと一緒に回された。全員のフルネームを自筆で書き込む必要があるのだ。

車内でパスポートを集めたり誰かが乗り込んできて1つ1つ確認するといったことはなく、ガイドのVedranがこのGreenbookを持って、パスポートコントロールのオフィスに持っていくだけ。

最初のボーダーには本来ボスニア・ヘルツェゴビナ側の警察がいなければいけないのに、いるのを見たことがないとガイドが言うほどにゆるいらしい。

実際にいたのはクロアチアの警察だった。最初の2つのボーダーはゆるく、最後の1つがある意味では本当の国境。

バスのなかでVedranが通過する街やその近隣のことや歴史のことなど色々話してくれる。


ボスニア・ヘルツェゴビナの雑貨屋さん

ボスニア・ヘルツェゴビナの最初の国境を超えたところで、最初の停車。
ORKAというレストラン兼ホテル兼雑貨店というようなところでトイレ休憩になった。


ボスニア・ヘルツェゴビナにはどんなものが売ってるんだろうと思い、トイレを済ませて雑貨店を見て回った。

バスのなかで、ボスニアは他のエリアの40%ぐらいの物価と聞いていたけど、確かに安いようだった。特にタバコ、アルコール、コーヒーが安いらしい。マルボロのカートンは€18.50だった。

ガム2つ、箱入りキャンディ、小袋のお菓子の計4つを€10紙幣で買ったところ€8のおつりがきた。

レシートには€3.75って書いてあったけど実際には€2だったってことか?よく分からんけど安そうではある。

ちなみにボスニア・ヘルツェゴビナの通貨はコンベルティビルナ・マルカなんだけど、ユーロもクロアチアのクーナも受け取ってもらえる。ボスニア・ヘルツェゴビナのお金を見てみたかったから換金したかったけど時間もなかったので、このツアー中はユーロで通した。

このORKAにはモスタルからの帰りにもトイレ休憩で寄ったんだけど、その時はアイスを食べた。€1。

アイスを食べながら駐車場付近をウロウロしていたら植え込みにオリーブの木を発見。たくさんの実もなっていた。オリーブの木に実がついてるのって初めてみたかも。

帰りのバスでは寝ている人も多かったけど、Vedranは時々またドゥブロヴニク付近のことについて話してくれた。

彼も英語が完璧ではないけどツアーガイドとしては全然問題ない。車内で、クロアチアのあたりではどんなものを食べるのか、みたいな話で豚肉が話題にのぼったときに「pigを食べる」とか言ってて、乗客から「pigの肉はporkって言うんだよ!」とか突っ込まれていた。その後も「sheepも食べるよ」とか言ってて、同じように「sheepの肉はlamb」とか言われてた。当たり前に知ってても良さそうな単語を知らずとも英語でガイドができるんだから十分だよね。というか、英語とか外国語ってそういうふうにあるべきだと思うよ、ほんと。

⇒ ポチテリ(ボスニア・ヘルツェゴビナにあるオスマントルコ様式の建築がみられるオールドタウン)について書いた記事
⇒ モスタル旧市街とスターリ・モストについて書いた記事


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