だらしない人ほどうまくいく

新しい本ではないんだけど、たまたま見つけて、「なんて素敵なタイトル!」と思い、読んだ。

だらしない人ほどうまくいく

この本の中では、「だらしな系」と「きっちり系」に大きく分類されていて、文字から感じられる通り、例えば「だらしな系」は、机の上に書類が山積みになって雑然としている人たち、「きっちり系」は、色ラベルをつけてファイリングしているような人たちだったりする。

しかし、単純に、Aさんは「だらしな系」だとか、Bさんは「きっちり系」だとか分類することもできなそう。「だらしない」とか「きっちり」とかは同じ人であっても、状況や度合にもよって変わる。ある側面では「だらしな系」だけど、別の側面では「きっちり系」であったりするし、また同じ「だらしな系」だとしても、ある人はベッドルームが雑然としていることは良しとしてるが、キッチンが雑然としていることには耐えられないとか、別の人はその逆であったり。

というわけで、机の上が散らかってしまい片付けられない「だらしな系」の私が優れていて、家の中なのにいちいちラベルをつけてファイリングしている几帳面な夫が優れている、という話ではなかった。(残念…謎)

どういう話かっていうと、

  • 「きっちり」するにはそれなりに管理コストがかかるので、生産性という観点では必ずしも「きっちり」が優れているわけではない
  • 「だらしない」方が、より柔軟に、素早く、劇的に状況に対応することができ、融通が効く
  • 「きっちり」であると異質なものや不測の事態が苦手であるが、「だらしな系」は、予期せず色々なものに触れ、いろんな変化が(偶然にしろ)起こることで、問題が明らかになったり、問題への解決策が導かれたりする

とか、そういう話。

少しだけシステム開発を例に挙げた章があるんだけど、そこを読んでいると、「だらしな系」が、プロトタイピングとか観察といった、デザインのプロセスにも通じるところがあって面白かった。

また、会社全体の意思決定やマネジメントにも、自然と取り入れられているなーと思うところも多かった。

もちろん、なにごとにも限度というものがあり、あるレベルを超えるとデメリットがメリットを上回るので、結局はバランス、ということなんだけど、要は何でもかんでも「きっちり」すればいいってもんではないし、もしそれをする必要があるのであれば、それで達成したいことがなんなのか、目的を明確にしないと、「きっちり」することで「きっちり」している気になるだけってことだな。

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